池波正太郎をめざして

読書の栞

日々の読書の記録、感想を書きます。

プレジデント二〇一七・五・二九号「孫子の兵法」

 

先ほど報道で、小池都知事が脱藩じゃなくて、自民党を離党した。

 

www.msn.com

 バックナンバーになって申し訳ない。

先日締め切りの短編小説の集いの作品を書いていてなかなか読めなかったプレジデント。普段買うわけではないが、「孫子」の文字を見て衝動買いしてしまった。

 

小池都知事孫子の兵法に小さな頃から親しみがあったそうだ。お父さんは貿易商であった。その後、石原慎太郎が新党を結成することをにらんで、その前段階の会の推薦を受け、神戸から立候補するが落選する。その父が、小池百合子が幼少の折、「日本は戦略をもたなくてはならない」と戦略について話していたそうだ。そして小池自身、「丸」という今では軍事専門誌、かつては総合誌だった雑誌の愛読者だった。またマーケティングも好きなのだそうだ。「孫子」関連本も多くもっている。

これまでの都知事選を「孫子」になぞらえて池上彰とともに解説していく。

が、そのなかに「勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いて而る後に勝ちを求む」というのがある。戦う前に十分な準備をしてから戦うものが勝つというものだ。当たり前のように聞こえて、案外できないものだ。

また、「始めは処女の如くにして、敵人、戸を開き、後には脱兎の如くにして、敵、拒ぐに及ばす」という言葉も出てくる。池上彰が対談を振り返って書いたエッセイの中に出てくる。

つまり、敵の油断を誘っておいて、あとは速攻するということだ。

二つの言葉を合わせると、小池百合子の脱党ではなくて離党は、「準備が完了した」ということを示す。

離党という記事を見て、ちょっとにやっとしてしまった。

小池百合子の都知事選を見ていて思ったのだが、一番好感を持てるのが、公約などに「女性(のみ)が活躍できる社会」とか「生活者視点」とか、政治ができるわけないことを書いていなかったことだ。

www.yuriko.or.jp

別に自分が女性なんかどうでもいい、と思っているわけではない。「女性中心」といえば男性が除外される。男性でも同じだ。若者といってもいいし、老人といってもいい。面白いことに、「全員活躍できる」と書いている。「人の耳目を一にする」と言う言葉に沿っているのかもしれない。これは「将卒の統率が大事」という意味だ。だれも自分に関係のない言葉には注意を払わない。

 面白いと思ったので興味のある人は読んでみるとよい。

 ただ、後半はいただけなかった。

 

ソフトバンク孫正義孫子が好きだ。その思想を、二五文字の漢字にして示した。問う話は有名だ。そこから孫正義の略歴が語られる。大体みな知っているだろう。

 

そして、個人の生き方に「孫子」はあてはまるかという特集が為されていた。

そのあとは、色々な業種の企業が危地をどう脱したか、斉藤孝が解説する「頭の良い子どもを作る方法」というのはどうでもいい。というか、興味のある人間は見ればいい。ほとんど孫子の言葉は付け足しである。結局、成功する前に孫子を利用して動き勝たないと、意味がない。

問題は個人の生き方に「孫子」は通用するか、だ。

例えば、「リストラを命じられたらどうするか」などというケーススタディになっている。そこに書かれた正解は「まずは残したい部下と面談し、味方を作れ」である。ただ考えてほしい。上司はあなたのことが大切な部下だと考えたら、恨まれるリストラなどを頼むだろうか。それにリストラをした上司に部下が信頼をよせるかどうかは、ある種の賭だ。特に今の若手はすぐに職場を去るのだから、一気に冷めて辞めてしまう可能性もある。

だから、答えは「あきらめて粛々とリストラをする」である。おそらく部下に嫌われるだろうが、それはしかたがない。

このあたりを読んでちょっと冷めた。

 

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又吉直樹「劇場」を読む。

 

又吉直樹芥川賞受賞後、第一作目「劇場」を読み終えた。

ここから、感想を書くが「劇場」を読んでから、この話を読み進めたほうがよい。

この作品を端的に表現すれば、「ベタな内容な物語を作者の文章力で装飾した」作品だ。ただ世の中の小説を面白いものと面白くないものに大雑把に分ければ、確実に面白い方に入る。しかもかなり高いレベルで。何よりもこの小説のことを考えるのは楽しい。

 

主人公永田、その恋人沙希の出会いとその関係性が純愛であることから、最終的にどうなるかは察しがつく。大ブームとなった「逃げるは恥だが役に立つ」の逆だろう。逃げ恥の新垣結衣はかわいいけれども、沙希はあまり美人に感じないのは私だけだろうか。下北沢にはたくさんいそうだけど。

読者の目線からすれば二人が最終的に別れるという展開は容易に想像できる。沙希は初めから無理をしすぎている。それにあまりにも将来のことを話さない。作品上は別れる理由は明示されていない。理由はあったはずだが、最後の最後で打ち消されてしまう。本人たちが気づいていない形で理由は進行している。

強いて明示されている理由を言えば、青山という女性の存在が理由である。おそらく二十代半ばであろう女性が、相手のことが嫌いだからといって、作品中のような行動をとるのかどうか。そのあたりに少々違和感をいだいた。むかついたらもう関わらないのではないだろうか。しかも永田からいったんは離れていっている。わざわざ青山の方から関係を修復することは、通常はないだろう。

本来は沙希に対して嫉妬の理由を用意すると、すっと読めたのかもしれない。沙希は気づいていないが、実は青山は沙希が嫌いならば、このような行動も合点がいく。ただ、文章としてはあまり美しくないものになる。青山はその場合、目的を達するために複雑な行動をとることになり、それが物語にとってはノイズになるからだ。

ただ、昔に比べて男も女も通常の年齢より幼い感じがするので、あり得ない話しではないのかもしれない。沙希を徹頭徹尾、内面が美しい女性として描いているので、青山のえげつなさが際立つ。こういう女子(とあえて書く。普通は若い女性限定の行動だ)は自分が絶対の正義をもっていると勘違いしている分、たちが悪い。本当に悪い。

 

古典作品のような骨太さを持つ物語であるが、古典的な古い人間観を引きずっているようにも感じる。背後にシェイクスピアの顔が見える。青山は狂言回しなのである。

また物語が先に存在し、人物を物語の都合のよいように配置したのだろうと勘繰ってしまう。それくらい物語にとって人物たちの存在が、都合がよすぎるのである。

沙希の考え方も行動も古い。受け身すぎるのである。もちろん、そこは又吉も意識していて、あるシーンで反論する。だが、沙希みたいな若い女性を今探すのは大変だろう。

さて、最終的に破局は「自分が悪い」と二人とも思っている。ならば、別れる必要がない、と感じるのは私だけだろうか。どうして自分が悪いと思っているのかは、もしかするとこれから読むかもしれない読者の為に書かない。

 

 

中学時代からの親友で、劇団「おろか」をともに主催する野原が位置的にもう少し活躍してもよい気がする。もしかすると、野原に沙希を強奪されるのではないかと思っていたが、肩透かしを食った。

この物語は確か大幅に書き換えられているはずである。野原は前の作品ではもう少し別の存在だったのかもしれない。あえて書く必要がない気もした。

 

前作に比べても今回の作品は文章が読みやすくなっていると感じる。

関西の小説家の癖なのだろうか。読後感をよくするために最後に綺麗なシーンを入れる。しかし、冷静になって読んでみると、とんでもないことに気づく。作品が最後に全部打ち消されてしまうのである。二人の関係は、いったいどのようなものなのか。なんとなく、読み手の性格が反映されてしまう気がする。ちなみに、私は全部幻想だと取った。上段で、人物の配置が物語の都合に合わせすぎている、と書いたが、二人の関係もある意味お互いに都合がよいから存在していた。純愛でもないのだろうと思った。

新宿から神宮の辺りまではよく散歩することがあったが、場所の雰囲気がよくでていた。場所をとても大切にしている小説である。あの辺りの店って、誰に商品を売りたいのかわからない。すごく狭い商圏である。その空気がよくでていた。

 

読み終えて、数時間経ってから書いているが、もう少し悲劇性があってもよいかもしれないと思った。もしくは、二人で乗り越えちゃった方が、今の読者が望む形にはなるだろう。ただ、太宰治好きとしてはあのような展開になるのは必然なのかもしれない。

結局は二人の悲劇性はまるで解決されないという、ある意味心中するよりも不幸な小説である。これから読む人は、覚悟をする必要がある。文章を味わうという意味では今現役の作家ではトップクラスの味わい深さがある気がする。

 

劇場

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