「風の如く」富樫倫太郎
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安倍晋三が三選を果たした。
だが、別に歴史書など専門書を読む気にもなれない、というのが我々の大方だ。
ならば小説で読めばいい。
この本は、吉田松陰という人物の幕末の心理の変遷を追う物語だ。
視点は風倉平九郎という人物だ。おそらく、この人物はモデルがいるのかもしれないが、実在の人物ではないと思われる。
富樫倫太郎の「軍配者」シリーズの主人公も「風」の字がついた。
のちに軍配者(軍師よりも多くの知識を有している。足利学校などで専門教育をうける)になるのだが、名前は風摩小太郎。風魔の小太郎ではない。
風という時に富樫倫太郎が思い入れがあるのだろう。
さて、当小説の主人公平九郎の父は、蟄居させられてしまう。
年貢を徴収する役目を仰せつかったのだが、民のことを考えすぎて藩の不興を買う。
農民たちは農地をごまかして年貢を納めていたのである。それは金持ちになりたいというよりも、そうしなければ生きていけないからそうしたのである。
それを見て見ぬ振りをしたのが、平九郎の父親であった。
蟄居先は農村である。士分ではなく、農民になってしまった。監視されながら日々の農作業に追われ、わずかばかりの給金をうけ、なんとな生活をしのいでいる。父はことが起こってから体調を崩している。だから長男である平九郎の肩に、一家の生活を支えねばならないというプレッシャーがかかるのである。
平九郎には夢があった。それは学問をすること。
藩校である明倫館というエリート養成所に平九郎は通っていた。しかし、生活が逼迫してからはそれも叶わない。
ある日、そんな人間でも学問をさせてくれる夢のような塾があると紹介される。
その塾を開いているのは、吉田松陰で彼はその当時、やはり藩のお咎めで自宅幽囚の身になっていた。実は吉田松陰という人は非常に優秀な人で、藩の学問の先生までしていた。ところが、黒船に乗ってアメリカに行こうとして、捕まったのである。
松本村で松蔭は塾を開いていた。
そこには個性あふれるメンツが集まっていた。
久坂玄瑞、高杉晋作、品川弥二郎、伊藤俊輔、などなど。彼らと交わりながら、ただの暗記ものでない学問を身をもって学んでいく。
というのが、はじめの方のあらすじだ。
この塾というのが非常に激しい。
平九郎が農作業に追われてなかなか来れないとなると、代わりに久坂玄瑞がやってくる。
もともと司馬遼太郎の「世に棲む日々」での吉田松陰もそんなところがあるのだが、みなこの情にほだされていく。
ところがそんな松蔭先生(山口では今でも、「先生」といえば松蔭先生らしい)は徐々に言動や行動が尖っていく。
きっかけは日米修好通商条約である。
アメリカが夷狄を払おうとしない。嫌がる朝廷をないがしろにしている。この一点に怒ってしまうのである。
このころの志士が攘夷から倒幕へ行動が移る理由の一つがこれだろう。
弟子たちの多くはそんな松蔭先生に感化され、行動が過激化する。
「僕は忠義をする積もり 諸友は功業をする積もり 功業をなす積もりの人天下皆是れ 忠義をなす積もりは唯吾が同志数人のみ」
と激しい叱責を喰らってしまう。絶交までされてしまう。
それでも、松蔭先生を慕うのであるが。
他人に影響を与える人、まっすぐに生きすぎる人は、ときとして狂っているように見える。狂ってはいないのであるが。そんな激越な生き方が非常にうまく描けている。
富樫倫太郎はこういうの書かせると上手い。