オールドテロリスト
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村上龍の長編小説である。
二〇一一年五月という、東日本大震災のほぼ直後といっていい時期から文藝春秋で連載された小説である。
1,あらすじ
セキグチというフリーライターのもとに、フリーになる前に勤めていた出版社の上司から連絡が入る。どうやらNHKでテロが起きるらしい。久しぶりにスーツに身を固めたセキグチはNHKに向かう。NHKでは可燃性の液体を使ったテロが行われる。
事件を追うことになったセキグチはカツラギというミステリアスな女性と出会う。カツラギは精神的に不安定な女性だった。カツラギとマツノという出版社の若手と一緒に謎の組織「キニシスギオ」の存在を知り、追う。
どうやら「キニシスギオ」の後ろには、第二次世界大戦中に建国された満州国の影があった。
2,感想
①悲惨な中年
登場人物の状況がいちいち現代日本の状況を反映していて、村上龍らしいと思った。セキグチは初老であり、フリーのライターになってから仕事がなく不遇にな状況にあった。元妻と娘は外資系の企業で働いていて、今はアメリカで再婚相手がいるかもしれない。女性はもうガマンしない。セキグチが仕事がなくなったのがいやになったのではなく、一日中テレビを見てテレビに向かってブツブツ独り言を言うようになったのがいやだった、というのが表面的な理由だ。だが、それはトリガーに過ぎないのだろう。
テロに巻き込まれるときにも、「コインロッカー・ベイビーズ」や「愛と幻想のファシズム」の登場人物たちのように戦ったりはしない。のたうち回るだけだ。現実、そうなるだろう。
②家庭
カツラギもそうだ。不和な家庭に育ち、叔父によって不遇な目に遭う。それがきっかけになり精神が不安定になる。もうCMに出てくるような「あったかハイムさん」のような状況や、現実の吉田羊がこんなにいいお母さんであるわけがない、というような家庭は存在しない。みんなどこかいびつで、一生懸命それを取り繕っている。それが「普通」なのである。ただ、繊細であったり、現状認識がきちんとできすぎてしまうと、カツラギのように精神に不調を来す。そういう存在としてカツラギはいる。そして、各場面において、鍵のような存在でもある。
③若者たち
読み終えて一番かわいそうな存在として写るのが、マツノくんだろう。彼は一流出版社の社員である。若いので従来可能性があり、一番頼りになる存在として登場すべきだが、この作品のなかでは一番頼りない存在として描かれる。技術も経験も、人並みでそれ以上の経験を積む機会も与えられていない。今の若者(ちょっと広く、四〇前後くらいまで含まれると思う)を象徴する人物だろう。それ故途中でお払い箱になってしまう。
この対談で出てくる若者そのものである。
④老人たち
この作品には老人が多く出てくる。老人たちは戦争を経験し、社会的にも成功している。その老人たちが(無責任だと思うが)日本をリセットしようと立ち上がる。
その老人たちとその下の世代、セキグチ・マツノを比べると、実に日本人は内向的になっていると感じた。下の記事では、その内向的というのを端的に表現していて面白かった。
要するに老人たちは単純明快なのである。やりすぎたのであれば、壊してしまえ、と単純に考える。下の世代は現状が難しい状況で、複雑に考えすぎてしまって、みんながどこかで諦めている。そんな感じがするのである。もちろん、書いている私も含めてだ。
そしてからっと明るい、というのも老人たちに共通している。上記インタビューにもあるが、「一度死んだ命」という達観、諦念がどこかにあって、現在を楽しんでいるようにも思える。
それが老人たちの魅力になっている。
⑤不満
難を言えば、ちょっと物語が尻つぼみだなと思った。ただ続編をにおわす終わり方をしているので、大陸も巻き込んでもっとすごいことになるのかなと楽しみにしている。