池波正太郎をめざして

読書の栞

日々の読書の記録、感想を書きます。

「のんのんばあとオレ」には少年時代の大切なことが全部詰まっている。

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のんのんばあとオレ (講談社漫画文庫)

 

あらすじ

  のんのんばあは、茂少年のうちの近所に住んでいた。

 拝み屋をしていて、信心深い。そのおかげで、妖怪などの知識も豊富だ。茂少年は貧乏なのんのんばあのうちへ行っては、妖怪の話を聞く。聞いているうちに茂少年も妖怪や怪異に詳しくなっていく。

 のんのんばあの亭主は茂が小学生に上がる直前に死んでしまう。路頭に迷うすんでで、のんのんばあは茂少年の家、村木家のお手伝いさんとなる。

 茂少年の住む田舎は、まだまだ妖怪などが信じられている場所だ。不思議なことが多く起こる。その怪異がどうしておこるのか、妖怪に精通しているのんのんばあが解説し、解決していく。

 少女たちとの恋や別れを経験しながら、茂少年は成長していく。

感想

 物語の軸は、少女たちとの恋とガキ大将率いる軍団同士の抗争、そしてしげる絵物語を作っていく、という三つである。ときは戦間期(二つの対戦の間)、不穏な空気に日本中が浸されていく寸前である。ガキ大将たちの遊び方にも、軍国化していく様が大いに反映している。戦うために訓練し、無意味に隣町の少年たちと抗争していく。この構造を、茂が最終的に変えるのであるが。

 少女たちとの関わりも悲しい最後になるのだが、それが水木しげるの異界への興味を引き立てて行く。そういった水木しげるの、「今となって考えてみれば」という形の自己分析が入っている。

しげるを取り巻く人々の魅力

  この作品の魅力は、島根県という場所の魅力と、人々の魅力に尽きる。

  父親は地元で初の東京の大学出身者である。ただ、帝大かどうかはわからない。作品中の行動から察するに、人文系の学部の出身なのだろう。厭世的な人物である。妖怪に夢中になり、絵物語を描き続けるしげる少年の良き理解者。

  母親は元名字帯刀の武家の出。それを誇るのを口癖にしている。が、それほど嫌味ではなく、牧歌的な性格である。口癖の割に流されやすい性格でもある。父親が映画館をやるという夢を語り、それに始め反対をするのだが、結局はもぎりまでやってしまうほどのめり込む。

  少年たち。しげるのライバル・カッパを始め、少年たちは大衆的性格を持っていて、とても愛嬌がある。

  水木しげるは自分の描いたキャラの中で一番好きなのはねずみおとこ、というくらい、大衆を描くのがうまい。それは、もともと実家の武良家(作中では村木家)が豪商であり、ちょっと大衆より高所より状況を見る感性を持っていたからだろう。大衆の中にいて、大衆を描くのは困難である。なぜなら、大衆は自分が大衆に属しているとは思っていないからである。ちょっと距離がないとスケッチはできない。

  「わかっちゃいるけれども」という人々の魅力が詰まっているのが本作だ。

才能を磨くには

   また、状況がしげるの才能を追い込んで行くというのも面白い。ガキ大将の頭を決めるのに、しげるはゆえあって、「相手なし」つまり村八分の扱いになる。だが、しげるには絵物語を描くという楽しみがある。だから、めげないのである。逆に創作に時間が避けるようになる。

  才能を曇らせるのは自己の性格である。友達がいないという状況を、「悲劇」ととるのか、「時間ができて良い」ととるのか、それは性格で決まる。ネットを見ていると、人的ネットワークを広げる重要性がよく説かれるが、その延長にあるのは「パリピ」程度の人間関係だ。だいたい、自己の能力を研鑽するときには、他人の協力など不必要だし、いるだけじゃまなのである。ただ、たいていの人間は「わかっちゃいるけれども」なのだけれども。

  牧歌的な作風のなかに、人生の機微がきちんと入っているのがこの作品の魅力である。

 

のんのんばあとオレ (ちくま文庫)

のんのんばあとオレ (ちくま文庫)

 

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