真田太平記(1) 天魔の夏
おそらく、このドラマを描くに当たって、この物語を意識しないでは書けなかったと思う。
あらすじ
話は武田家滅亡の時期から始まる。長篠の戦いで負けた武田軍は織田・徳川の猛攻に遭う。高遠城も信長嫡子の織田忠信軍に囲まれて、落城の危機にあった。向井佐平次も籠城軍のなかにいた。立木四朗左衛門旗下の部隊にいる。
包囲軍から城を守るために、立木四朗左衛門部隊は、あえて城門から突出して敵軍に突っ込んだ。無謀な戦いで負傷を負った佐平次は、謎の女お江(おこう)に助けられる。お江は真田昌幸の草の者であった。お江は重傷を負った佐平次を助け、真田の庄まで連れ帰る。
一方の真田は織田信長がどう裁量するかが分からない。当主昌幸は武田家からも集めた草の者を駆使して、他国の情報を収集する。草の者のなかには、特に信頼を置く壺谷又五郎がいた。又五郎も武田の忍びのものであったが、願い出て勝頼から招いた。勝頼は草の存在を重視していなかった。
昌幸には二人の息子がいた。源三郎信幸と源二郞信繁。信繁はのちの真田幸村と呼ばれる武将である。昌幸はどうしても源二郎を贔屓にしてしまう。そこには秘密があるのだが、それは後に分かる。
先の高遠城から脱出した佐平次は傷が癒えた後、源二郎の部下となる。
さて、信長はあと中国・四国・九州を攻めれば天下統一は達成される段階にあった。そして、本能寺の変に遭う。乱の首謀者は明智光秀。光秀は天魔に魅入られた。
大河ドラマとの違い
多くの違いがあるが、一番の違いは登場人物の性格だろう。
昌幸はもう少し癖のある性格である。そして、源二郎はもう少しあどけない。無茶をする性格でもある。源三郎はちょっと冷たい感じがするが、当主としての性質をすでに発揮している。真田丸の初期のように、誰も彼の話が聞こえないということはない。
出浦昌相は今のところ登場していない。壺谷又五郎というのがその代りである。
忍びの者の存在が大きい。お江などそれぞれの忍にも物語がきちんと用意してある。全部で一〇数巻あるだけのことはある。
よみどころ
池波正太郎の作品で、これは本気で書いたという感じが一巻の出だしからビンビンする。力が入っている感じが良く伝わる。だが、一〇数巻読ませるだけのなめらかさは当然ある。読んでいて疲れないのである。
実際に書き出す前には、三年はかかる、と考えていたが、書き出すと八年近くかかって書き上げた長編だ。全てをつぎ込んでいる。話を先に進めるためには、真田丸のように真田家に直接関わる部分だけを書いて、そのほかの忍びの部分は軽く書けば良い。そこを思い切り書いている。書きたいことをふんだんに盛り込んでいる。逆に言えば、そうすることでそれぞれの人物に対して思い入れが出てくる。
実にうまいが、信長が武田家を滅亡してから十数日間の出来事を描くだけで、ほぼ一巻を費やしているのはすごい。
鬼平犯科帳のように軽い感じで書いている文章とは違う、本気の池波正太郎を味わってほしい。
あと三時間あるよ。参院選特集、どうやって候補を選ぶのか。
先に目次を書こう。
目次
「言ってはいけない残酷すぎる真実」
Ⅰ努力は遺伝に勝てないのか
①遺伝にまつわる語られざるタブー
②「頭が良くなる」とはどういうことか
③知識社会で勝ち抜く人、最貧困層に落ちる人
④進化がもたらす残酷亜レイプは防げるか
⑤反社会的な人間はどのように生まれるか
Ⅱあまりに残酷な「美貌格差」
⑥「見た目で人生は決まる」
⑦あまりに残酷な「美貌格差」
⑧男女平等が妨げる「女性の幸福」について
⑨結婚相手選びとセックスにおける残酷な現実
⑩なぜ女性はエクスタシーで叫ぶのか
Ⅲ子育てや教育は子どもの成長に関係ない
⑪わたしはどのようにして「わたし」になるのか
⑫親子の語られざる真実
⑬「遺伝子と環境」が引き起こす残酷な真実
この本は新書で、ご存じの通り新書はサブタイトルが細かく書いてある。ちょうどブロガーの書く文章と同じようになっているのだが、これを細かく書いてしまうと、内容がバレバレになってしまうので書くのは止めておく。こんかいは赤字の部分の内容を使う。それにしても、この本読んでいると、どこかで不快になる内容になっている。それにも関わらず、売れている本でもある。人間、どこかで不安になりたい動物なのだろう。
参議院選について
ツイッターのニュースなどで見ていると、参院選は盛り上がっていないと思ってしまう。耳目を引くのは、どちらかというと都知事選である。
なぜこうなるかというと、たぶん番組の作り手のほとんどが在京の人々であるからだ。江戸川を越えて都民ではない私にとっては、はっきりいって、石田純一が出馬したいと言い出したり、嵐のオヤジがどうなろうが、知ったことではない。関係がない。こういう番組作りをしていいのは、東京MXだけだと思うのだが。他府県の人々はどう見ているのだろうか。舛添のあとだから、国民全体が注目している、というのは確実に錯覚だ。
あと一つは、与党の圧迫があるのか、参院選についての独自の見解を発信しにくい環境にあることも原因だろうか。あまり取り上げていないわりに、今日(投開票日)の八時以降には特番がある。変な国である。
それに、国民の側も白けているということもあるだろう。例えば、「アベノミクスももう終わりだ。だって、イギリスのせいもあって円高に振れているじゃないか。もう他の政党に期待しよう」と言ったって、野党のどこに入れたらいいのかわからない。「支持政党なし」という奇襲策も出た。これは北欧でちょっと前に始まった試みで、あちらでもなかなか人気があるようだ。ただ、イギリスのEU脱退の国民投票の経緯を考えると、どうも半国民投票の政党に入れるのも考え物だろう。
なら、どうする?
参議院選挙の投票は二種類ある。「候補者を選ぶ」「比例代表制」の二つだ。比例は政党に投票する方式だ。「自由民主党」とか「民進党」に投票する。もちろん、「安倍」とか「岡田」とかどの党かと分かる名前を書いても良い。
前置きが長くなったが、本書の赤字のパートに書かれていることを参照すると、もしかすると「候補者」は選択できるかもしれない。
写真から性格というのは想像できるのだそうだ。もっと言ってしまえば、知性もほぼ正確に当てられる。
「気をつけの無表情な写真」、「好きなポーズでとった自然体の写真」の二つを見せると、特に「自然体の写真」からは多くの手がかりが得られるそうだ。「外向的」かどうか、「親しみやすさ」、「自尊心」だそうだ。その手がかりは圧倒的に笑顔だったそうだ。
選挙用のポスターは笑顔で撮られている。それを見て、「コイツの笑顔嫌い」と思ったら、そいつには投票しないというの一つの手だろう。結構正確に見分けられる。ただ、人の笑顔から「政治的見解」と「誠実さ」、「穏やかさ」は判別できなかったそうだ。これらの要素を「大切じゃないか」と思うかもしれないが、結局やらせてみないと、どういう政治家かはわからない。ご存じの通り、公約なんて嘘だらけだ。
ちょっと前に、「笑顔」「笑顔」と言うのが流行ったが、悪人とは笑顔で寄ってくるものである。
知的かどうかも実験を行ったが、直感的に当てることができたらしい。大学の講義の短い映像を、しかも音声なしで見せただけで、その教授の善し悪しを見抜いたそうだ。外見というのは雄弁にものを語るものだ。
比例代表はどうするか
党首で同じことをやるべきなのかどうか。各政党ともに、党首はさすがに有名人だ。安倍晋三、岡田克也、山本太郎、などなど、有名人の場合、ノイズが事前にすり込まれていて、ノイズごと判断してしまうので、この方法が有効かは分からない。
短時間で比例の投票先を選ぶのは困難かもしれない。そういうときは仕方がないのであなたが思う、「無難な政党」に入れるのがいいだろう。
選挙は行った方がいい
選挙でベストな候補を選ぶのは相当難しい。というより不可能だ。選挙権を20歳で得てから、なるべく選挙には行くようにした。なるべくその前にはニュースもチェックした。候補者がどういう人間かというよりも、人は政党に投票するのである。我々が選んだ一人の候補で政治は動かない。だから、候補者に関してはいつもベターな選択になる。
選挙は行った方がいいと思う。なぜなら、一度選挙に行かなくなると、ずっと行かなくなるからだ。もう習慣と言っていい。習慣として、選挙が近づけば、いろいろチェックするようになる。行かないという習慣が身についてしまえば、相当気が向かなければ行かなくなると思う。あくまで、私の性格では、だが。
もしかするとあなたは逆だと思うかもしれない。「ベストな選択ができなければ、行くべきではない」と。しかし、あなただけでなく、みなが「ベスト」と考える、候補者、政党が現れるというのは、実に危険な状態だ。一番理想なのは、まあまあの政党、政権にゆだねて、社会・国家が自然と回っている状態なのだと思う。それにはベターな候補で良いのだ。
もうすぐ夕方の五時だ。買い物のついでに、候補者の写真を見て、直感的に選ぶという選択方法も案外ありだと思うよ。自分を信じて!
オールドテロリスト
村上龍の長編小説である。
二〇一一年五月という、東日本大震災のほぼ直後といっていい時期から文藝春秋で連載された小説である。
1,あらすじ
セキグチというフリーライターのもとに、フリーになる前に勤めていた出版社の上司から連絡が入る。どうやらNHKでテロが起きるらしい。久しぶりにスーツに身を固めたセキグチはNHKに向かう。NHKでは可燃性の液体を使ったテロが行われる。
事件を追うことになったセキグチはカツラギというミステリアスな女性と出会う。カツラギは精神的に不安定な女性だった。カツラギとマツノという出版社の若手と一緒に謎の組織「キニシスギオ」の存在を知り、追う。
どうやら「キニシスギオ」の後ろには、第二次世界大戦中に建国された満州国の影があった。
2,感想
①悲惨な中年
登場人物の状況がいちいち現代日本の状況を反映していて、村上龍らしいと思った。セキグチは初老であり、フリーのライターになってから仕事がなく不遇にな状況にあった。元妻と娘は外資系の企業で働いていて、今はアメリカで再婚相手がいるかもしれない。女性はもうガマンしない。セキグチが仕事がなくなったのがいやになったのではなく、一日中テレビを見てテレビに向かってブツブツ独り言を言うようになったのがいやだった、というのが表面的な理由だ。だが、それはトリガーに過ぎないのだろう。
テロに巻き込まれるときにも、「コインロッカー・ベイビーズ」や「愛と幻想のファシズム」の登場人物たちのように戦ったりはしない。のたうち回るだけだ。現実、そうなるだろう。
②家庭
カツラギもそうだ。不和な家庭に育ち、叔父によって不遇な目に遭う。それがきっかけになり精神が不安定になる。もうCMに出てくるような「あったかハイムさん」のような状況や、現実の吉田羊がこんなにいいお母さんであるわけがない、というような家庭は存在しない。みんなどこかいびつで、一生懸命それを取り繕っている。それが「普通」なのである。ただ、繊細であったり、現状認識がきちんとできすぎてしまうと、カツラギのように精神に不調を来す。そういう存在としてカツラギはいる。そして、各場面において、鍵のような存在でもある。
③若者たち
読み終えて一番かわいそうな存在として写るのが、マツノくんだろう。彼は一流出版社の社員である。若いので従来可能性があり、一番頼りになる存在として登場すべきだが、この作品のなかでは一番頼りない存在として描かれる。技術も経験も、人並みでそれ以上の経験を積む機会も与えられていない。今の若者(ちょっと広く、四〇前後くらいまで含まれると思う)を象徴する人物だろう。それ故途中でお払い箱になってしまう。
この対談で出てくる若者そのものである。
④老人たち
この作品には老人が多く出てくる。老人たちは戦争を経験し、社会的にも成功している。その老人たちが(無責任だと思うが)日本をリセットしようと立ち上がる。
その老人たちとその下の世代、セキグチ・マツノを比べると、実に日本人は内向的になっていると感じた。下の記事では、その内向的というのを端的に表現していて面白かった。
要するに老人たちは単純明快なのである。やりすぎたのであれば、壊してしまえ、と単純に考える。下の世代は現状が難しい状況で、複雑に考えすぎてしまって、みんながどこかで諦めている。そんな感じがするのである。もちろん、書いている私も含めてだ。
そしてからっと明るい、というのも老人たちに共通している。上記インタビューにもあるが、「一度死んだ命」という達観、諦念がどこかにあって、現在を楽しんでいるようにも思える。
それが老人たちの魅力になっている。
⑤不満
難を言えば、ちょっと物語が尻つぼみだなと思った。ただ続編をにおわす終わり方をしているので、大陸も巻き込んでもっとすごいことになるのかなと楽しみにしている。
北条早雲 相模侵攻篇
作者は富樫倫太郎
北条早雲という人物は脂っこい野心家の一面と、善政を敷く徳の高い人物の二面性がある人物だ。司馬遼太郎がそれを「教師」というキーワードに書いていて、それが実におもしろかった。
富樫は「徳の高い人物」の面を最大限に表に出して本書を書いている。以下は本書を元に話をすすめる。早雲とは謎の多い人物であり、まだ人物が確定はしていないのである。「早雲」も「北条」も死後についた俗名であり、生前は「伊勢宗瑞」を名乗っていた。生年も確定しておらず、一四三二年説と一四五六年説に分れる。本書は従来の「遅咲きの武将」ではなく、五六年説を取る。以下は早雲で統一する。
この巻の始まりは、北伊豆攻略直後だ。その前に今川家に借り受けた興国寺城でもそうだが、早雲は年貢の割合を「四公六民」にした。周囲の領土が「七公三民」などの公年貢率なので、早雲の領土は破格の低さである。
しかし、この制度を維持しつつ、周囲の武将からの侵略を抑えるためには、広大な領土が必要となる。北伊豆だけを領土にしていたら、北伊豆すら守れない。このあたりは、ディスカウントショップと事情は一緒だ。破格の値段設定を維持しつつ利益を出すには、多くの店舗が必要になる。薄利多売である。
本書の時期、興国寺城と北伊豆だけを領有していた時期は、綱渡りの時期である。その事情から、ついに早雲は小田原城を攻め、相模の西部を領することを決める。
従来の早雲のやりかたは、「小田原城のなかに、猟をしていた鹿が逃げ込んでしまった。勢子を入れさせてくれ」と言って、内部から崩す戦法をとった。本書の小田原攻めは従来のものとは違う。
「真田丸」が受けた理由はキャラクターの多彩さだけでなく、駆け引きの妙にあると思う。その点、あらゆるものを使って戦っていく、この時期の早雲も同じである。「真田丸がおもしろかった人は絶対に楽しめる本である。