池波正太郎をめざして

読書の栞

日々の読書の記録、感想を書きます。

生き方を見直す。「不運と思うな」伊集院静

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 他人のせいにして生きるのは楽だ。

 国のせいにするのは楽だ。

 時代のせいにするのは楽だ。

 とかく人は不遇をかこったとき、自分以外の何かに原因を求める。納得いかない人生を、そうして落トシマエをつける。できればだれも傷つかない、大きな集団の方がよい。だがその矛先が弱者へ向かうことがよくある。であったことのない他者へ。そうして差別が始まる。

 本書のテーマは「引き受ける勇気」だ。

 不遇を運・不運のせいにしない、ということは自分の人生と真っ正面からがっぷり四つに組むということだ。

 存外、これが難しい。

 伊集院静の今の妻は篠ひろ子だが、前妻は夏目雅子だ。白血病のために夭逝した。またもっと若いころに、父親と弟を亡くした。伊集院の人生にはとかく死がつきまとう。

 かつては、亡くなった人々の再生を願っていた、と伊集院は言う。ところが、最近は変化したらしい。

 文字通り冥福を祈るようになった。亡くなった人々の短い人生の中にも四季があり、紆余曲折があった。それはそれで充実した人生であった。そう考えるようになったからだ。

 本書に幾度も登場する出来事がある。それは東日本大震災だ。

 自宅のある仙台で彼も被災した。その時の経験が死生観に影響を与えたに違いない。海岸線に横たわる無数の被災者の様子を伝える報道のシーン。自身が被災し、多くの人々が難渋した未曽有の大災害の前では、どんな人生でも納得しなければならない。否定などできない。他人のせいにできない。「自分は不運だ」などといじけることもできないのである。

 自分の人生を引き受ける生き方とは、美しく生きることと同義だ。いつ死んでもおかしくないと構え、言葉一つにも注意を払う。想像力を働かせる。

 スティーブ・ジョブズの生き方とは違う。彼は毎朝、「今日が最後の日かもしれぬ」的なことを言って覚悟を決めていた。そして他者に対しては、ご無体な要求をしていたらしい。敵も多かった。

 伊集院の場合は他者に対する尊敬が基本的に存在する。美しく生きる者へ対する尊敬。自分のダメさも引き受ける。酒におぼれて朝ホテルの床で寝ているという体たらくも引き受ける。本当に駄目な奴には嫌悪するのだが。

 それにしても、目上の人間についでに頼みごとをするのをいやがったり、ものの頼み方の手順が雑だと怒るのは、ちとやり過ぎかもしれない。目上の人の携帯に電話するのは無礼とか、10回以上コールするな、とか。よっぽどまのわるい編集担当がいたんだろうね。

 以前ビートたけし伊集院静の生き方を「非常にかっこいいだなあ」と褒めていた。そんな伊集院静の生き方がよく出ている本である。

不運と思うな。大人の流儀6 a genuine way of life

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