池波正太郎をめざして

読書の栞

日々の読書の記録、感想を書きます。

「河童」芥川龍之介

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都合により、「河童」を読んだ。

「僕」はある日、河童の世界に紛れ込む。

その世界は人間の世界とパラレルワールドになっている。哲学者、作曲家、硝子工場の工場主、宗教家、人間世界と同じような人間が多く生きている。自殺あり、戦争あり、と人間界と同じような出来事が起こる。

河童の世界を「僕」は体験して人間界に帰ると、「僕」は早期性の痴呆症と診断される。「僕」は三十台そこそこの男である。この河童の世界の告白は、「僕」の病気故の妄想なのか、否か。

 

それにしても雌河童の描き方が一番インパクトがある。

基本的に恋愛においては、雌河童が雄河童を追いかけ回す。雄河童が追いかけ回しているように見えて、それは雌河童がそう仕向けているのである。この辺りの描写で笑ってしまった。そう仕向けるために、立ち止まってこちらを見たり、四つん這いになってみたりして挑発するのである。そう、そういう熱い視線は男ならば一度は経験しているだろう。私はあまりないが。

 

この雌河童のおかげで、学生河童のラップは嘴が腐ってしまう。雌河童はいきなり飛びついて、ラップを組み伏せる。そのせいで腐る、ということはこの雌河童は性病を持っていたのだろう。

宗教家もこの雌河童にやられてしまう。

河童の世界で流行っているのは、「生活教」と呼ばれる宗教が流行っている。生活教の教義は「旺盛に生きよ」というものである。「食って、交合して、旺盛に生きよ」というものだが、その教義を「僕」に説いている最中に、雌河童に組み敷かれる。酒を飲むために雌河童の財布から金をくすねたのである。

 

この作品の根底には芥川龍之介の悩みがある。

芥川は非常に女性にもてたそうだ。女性についても悩んだそうだ。

そして神経衰弱にも悩まされた。悩みすぎる質なのだろう。

それだけでなく、この河童の世界は芥川の若い頃の世界の凝集なのではないかと思う。特にこの作品が書かれたのが昭和一桁年代なので、今とは感覚的に違う部分が多々ある。それが象徴されているのが、やはり雌河童、女性の存在だ。三十代前半と二十代前半の女性の心理的な悩みの比率は大違いだ。性欲の減退や自身の家庭の状況によって、悩み自体は落ち着いていく。あれだけ、どの局面でも雌河童、つまり女性が登場して崩壊させていく。この感覚は、若い男の感覚だ。もちろん、私と違ってもてる男だが。

 

この作品を書き上げた五ヶ月後に芥川龍之介は自殺する。

 

河童・或阿呆の一生 (新潮文庫)

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河童

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河童 (集英社文庫)

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