池波正太郎をめざして

読書の栞

日々の読書の記録、感想を書きます。

「闇の平蔵」逢坂剛

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読んでいて自然と池波正太郎版「鬼平犯科帳」と比べてしまうのは人情だろう。

 

この作品における長谷川平蔵は決して人前で顔をさらさないという設定になっている。その平蔵が事件を解決することもあり、同心たちが解決することもあり、様々な展開をするのだが、一言で言い表すならば、「チェア・ディテクティブ」という位置に平蔵はいる。「チェア・ディテクティブ」とは、チェア、つまり探偵の椅子に座ったまま事件を解決するというスタイルである。そう、これは探偵小説と言っていい。

だからか、本心を言うと、池波版「鬼平犯科帳」よりは一段品が下がっているという印象を持った。なぜなら、誰にフォーカスしているのか分からなかったからだ。

ミステリーを読むときに、(今どき)トリックに注目して読む人間などいまい。なぜなら主要なトリックはもう出尽くしているからだ。ここから新たなトリック探していくのは難しい。せいぜい新しい機械を使うくらいだろう。

だから、池波版のように江戸の街を描いたり、人間を描いたりする。一話ごとに、主人公が入れ替わる。ときに平蔵、ときに密偵の誰か、ときに同心の誰か、ときに盗賊、と言った具合に注視すべき人間が入れ替わる。そして、人間共通の心理を描いていくのである。

ところが、今作品の登場人物は犯罪を構成する駒に過ぎない、という印象を持った。

あらすじを考えると面白いのである。

それ故に人間をもう少しだけ丁寧に書いていると、もっと面白くなるのになあ、と思った。素人意見だけどね。

なかに密偵の可久(かく)という女の密偵が登場する。

この密偵だけは丁寧に書かれているのだが、気っ風の良い女だという以上の印象を与えない。一冊使って、この可久を丁寧に描いていけば良かったのに、と思う。

なんだか、八〇年代の邦画を見ている気分になった。

とはいえ、途中から読んでいるのでそう言う印象を持つのかもしれない。もしかするともう少し読むかもしれない。

闇の平蔵

闇の平蔵