池波正太郎をめざして

読書の栞

日々の読書の記録、感想を書きます。

司馬遼太郎のおすすめ作品。秋の夜長に読むなら、この読み方が良いです。【戦国編】

スポンサーリンク

 

今週のお題「読書の秋」

 司馬遼太郎、通史セット。

 司馬遼太郎の作品は本人曰く「日本人がどうしてこんな戦争(第二次大戦)をしてしまったのか。それを考えて、あの当時の自分に書いて送った手紙だ」という趣旨のことを言っている。

本来は死ぬ前に「ノモンハン事件」という大戦中の小説を書くはずだった。それは叶わなかった。対人トラブルが原因だったと思う。

だから、司馬文学は通史で読むと理解が深まる。私が呼んだ範囲であるが、いくつか紹介しよう。「いや、こっちじゃない」ろいう作品もあるだろう。そんな紹介があれば呼んだみたい。

新装版 義経 (上) (文春文庫)

新装版 義経 (上) (文春文庫)

 
新装版 義経 (下) (文春文庫)

新装版 義経 (下) (文春文庫)

 

司馬遼太郎いわく、鎌倉時代に日本の土地制度などが固まっていった、らしい。

その鎌倉時代がどのように成立していったかは、源平の合戦周辺のことを見ないとわからない。

よく司馬遼太郎の作品で登場する一文がある。

それは「鎌倉武士のように、名乗りあって一騎打ちをするような美風はもはやなく」というような記述だ。武士の生き方としても規範はこの時代にある。

そういった意味で、一度読んで見ても良いだろう。

個人的に、源義経は人生初あたりに読んだ作品である。その人物像が根底から覆されてしまう、衝撃の人物像だった記憶がある。

 

新装版 妖怪(上) (講談社文庫)

新装版 妖怪(上) (講談社文庫)

 
新装版 妖怪(下) (講談社文庫)

新装版 妖怪(下) (講談社文庫)

 

 

 これは応仁の乱前夜のお話。

日野富子などの人物が登場する。

将軍家の大奥での権力争いを描く。

この辺りで多くの社会制度が変わっていくのだが、その最たるものとして、司馬遼太郎貨幣経済を意識していた。貨幣経済が浸透して人間がどう変わるのかがよくわかる。それも、幻術を通して、というのが面白い。

最後にシーンが圧巻。

 

 

 

司馬遼太郎応仁の乱の原因を、相続制度の不備に求める。よくよく考えればその通りで、将軍個人に決定権があるから、候補が幾人も存在するときにもめるのである。

徳川幕府は逆に、厳格な相続ルールを作った。この相続の制度の欠陥は鎌倉時代もそうであった。

この乱を契機に戦闘の仕方に大きな変化が現れた。足軽による集団戦法である。集団戦法を巧みに取り入れた一人が北条早雲である。

相続制度の不備は地方の武士にも波及してゆく。そこここで小さな応仁の乱がおこる。

時代の変化や社会の混乱は、チャンスでもある。それをどう見るのか、という視点で読んでも面白い。

 

国盗り物語1~4巻完結セット

国盗り物語1~4巻完結セット

 

 この話は二人の主人公で構成される。

斎藤道三織田信長である。

斎藤道三は早雲など、前期戦国時代を象徴する存在として描かれる。下克上を成し遂げた人物である。

一方の信長は安土桃山時代、江戸時代に繋がる感覚を持った人物である。

道三は、出自がよくわからない。その身分から、油屋の主人となり、やがては美濃国を統べるようになる。楽市楽座などの制度を始め、商業を奨励する。

信長はとても合理的な人物。かれの育った尾張自体が商業が盛んな地域であり、いやいよ浸透してきた貨幣経済的な感覚をもっていた。しかし、兵は弱兵であり、となりの三河の兵を頼らざるを得なかった。

そして道三を師としながら、天下統一を目指してゆく。

商業的な合理的な感覚こそが、このころの最新の感覚であり、天下取りに必須であったと司馬遼太郎が考えていたことがよくわかる作品。

 

新装版 尻啖え孫市(上) (講談社文庫)

新装版 尻啖え孫市(上) (講談社文庫)

 

 前期戦国時代は、局地的な小規模戦闘に明け暮れた時代。この雑賀孫一はそんな特徴を多分にもった武将。小規模戦闘では、向かう所敵なし。

信長が台頭し、武田信玄らが信長包囲網を形成していた時期。孫一は鉄砲集団雑賀衆のまとめ役。傭兵である。

頼まれて、一向宗の本拠地、石山本願寺を守ることになる。

孫一のキャラクターも面白い。女たらしといあキャラは和歌山の人に不評だったとか。

 

 

 

覇王の家(上下) 合本版

覇王の家(上下) 合本版

 

 いわずとしれた、三英傑の二人だ

太閤記に関しては、あまり目新しいことはない。純粋に英雄譚として読めるだろろう。

「家康=勤勉」というイメージはもしかすると「覇王の家」から始まったのか。

そういった意味でも、読むと良い。

この人物が関ヶ原から変わる。

 

 

 

 

関ヶ原と城塞はセットで扱うべき作品かもしれない。

関ヶ原は言うまでもなく、東軍率いる徳川家康軍と、西軍率いる石田三成が激突した戦いだ。

明治時代になって、関ヶ原の布陣を見たドイツの軍人は、この戦いを西軍の勝ちと見た。陣形、地の利などを考えるとそういうことになる。主力軍は信濃の上田で足留めをくっていたし。

それを逆転して、東軍が勝つ。そこに、日本人の本質を見るのである。要するに、日本人に大義などなく、あるのは保身だけなのだろう。

最近、ゲームの影響で石田三成が人気だが、確かに負けた西軍の方が清々しく、肩入れしたい気分もわかる。が、信長好きの人間が、実際に信長様の人間が現れれば必死に杭を打つように、石田好きの人間は、いざとなると尻尾を巻いて逃げるのだろう。人間そんなものだ。

 

関ヶ原の後の大坂の陣を描いたのが「城塞」だ。

世の中を動かすのは理屈でも道理でもなく「感情」だ。それをまざまざと見せつけられるのがこの小説だ。

このときの大阪城の実質の主は淀君、大蔵卿の局を筆頭にした女性だった。家康はその女たちを政治的な交渉力で、ときには脅し、宥め、翻弄してゆく。作中では忠臣片桐且元まで、去らせてしまうのだが、それは家康による扇動だった。

宮城谷昌光三国志の一巻では、徹底して宦官の害を書いている。宦官は言わずともお分かりだと思うが去勢された男性だ。それ故に後宮にも出入りでき、後宮の管理をしていた。

私的な空間で皇帝と会うこともあったので、歓心を得るのも容易かった。(ここからは私見)それに言葉は悪いが、道徳や倫理の埒外にいるものたち故に、私財を積まないと身の危険があるかもしれないと、私服を肥やす結果になったのかもしれない。

大阪城の当時の女性たちも、政治的には埒外にいるために、起こった混乱なのかもしれない。

 

最後に以前、仲間由紀恵か主演した大河ドラマの原作、「功名が辻」を紹介したい。

この作品はいよいよ始まる平和な封建制度とはどんなものなのかを教えてくれる。

関ヶ原の合戦のときに誰よりも早く手を挙げ、家康に味方するという功績くらいしか、大きな功績がない山内一豊とその妻、賢妻千代。

最終的に土佐の領主になるが、土地に元々住んでいた者たちから、恨みを買ってしまう。また、差別主義的な政策によって、彼らは郷士と呼ばれる様になったしまう。

この、郷士の出自を持つのが坂本龍馬である。

 

そうこの話が、名作「竜馬がゆく」につながる。同じように、江戸時代中に幕府や体制に不満を持った連中が蜂起したのが、明治維新だ。ということは、その前時代である、今回紹介した作品群を読まないと、維新の志士の心情は本当に理解できないのかもしれない。

 

司馬遼太郎の作品は、日本人のことについて、考えたくなる作品が多い。夜長にそんなことを考えながら読むのも一興だろう。

 

にほんブログ村 本ブログへ