池波正太郎をめざして

読書の栞

日々の読書の記録、感想を書きます。

吉川英治「松のや露八」

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 吉川英治の超長編はタイトルを見ると、だいたい時代設定や話の筋が分かる物が多い。ところが、「松のや露八」は一般的にはどの時代の話か、どんな展開なのかが分からない。

露八は明治以降に幇間になった後の名で、元々は土肥庄次郎といって、代々一橋家の家臣だった。ときは幕末の動乱の始まりの時期、会津藩松平容保が率いる軍が、京都守護として上洛する辺りの頃から始まる。

お情けで剣術の免許皆伝を得て、家に帰るとき、同朋に飲みに誘われたときから運命が流転する。その金を出したのは、のちに第一銀行を設立する渋沢栄一であった。ひょんなことから三姉妹と出会う。その真ん中のお蔦に翻弄され続ける。

お蔦は淫乱な女で、庄次郎とつきあっては他の男に浮気する。しかも、酒代の四〇両をもって他の男の元に走った。その四〇両を工面するために闘鶏の掛け金をせしめる。これが遠因になって、父親切腹して果てる。

流れ流れて、幕末の動乱に巻き込まれてゆく。

一方で弟八十三郎は勤王の思想にかぶれていた。流転を続ける兄庄次郎は八十三郎が幕吏によって捉えられるところも見てしまう。

あまり書いてしまうと面白くないので途中を端折るが、最終的に八十三郎は薩長の兵士として、兄庄次郎は彰義隊の一員として戦う。

 

この辺りが史実と違うと目くじらを立てる連中もいるのかな。

本当は八十三郎は彰義隊の一員として戦ったらしい。

squatyama.blog.so-net.ne.jp

(引用させていただきました)

森まゆみによると、「子母澤寛ならばこうは書くまい」と述べたらしい。

森まゆみは東京の出身。故立川談志家元によると、「本物の東京生まれは彰義隊びいき」なのだそうだ。だから、森まゆみがそう書くのはいたしかたない。感情的には非常によくわかる。

だが、このブログの書き手がどうして「史実をねじまげた」とまで、小説に対して強い言葉で書くのかは理解しがたい。読んでないのではないか。もしくは、読めてないのか。

というのも吉川英治には意図があって、そう書いたからだ。

 

吉川英治の実家自体が衰運によって、若い頃非常に苦労した。そのことについて書きたいから、兄は女で身を持ち崩し、弟は思想にかぶれてしまった、という設定にしたのである。時代に翻弄される父親の心情を書いたのだ。

吉川英治の作品には共通項があって、時代に翻弄される大衆を描くということだ。それは時代の変化とは関係がない。平家物語では麻鳥というオリジナルキャラクターまで登場させる。

だから、兄庄次郎は愚物に描かれる。幇間としてきちんと身を立てるのであるから、まったくの愚物ではないのだろうが。

 

庄次郎は作中、鳥羽伏見の戦いに出くわす。妓楼にいるのであるが、女もみんな家財道具を持って逃げ出す。庄次郎はそこに居座って、戦いで飛び交う砲弾を聞きながら酒を飲みまくる。薩長軍に見つかって、砲火のなか逃げまくる。そのときの街の情景に、関東大震災の影響があると思われる。

地震の前の妙な生暖かな様子、川を流れてくる死体などの描写にそれは現れている。

 

この作品のおもしろさは、明治維新の騒乱を英雄ではなく、江戸の市民の視点から描いているところだ。なにかことが起これば、我々一般市民は右往左往するしかない。

東日本大震災を経験し、北朝鮮がミサイルを撃ってきた今、そう思うのである。

松のや露八 (吉川英治歴史時代文庫)

松のや露八 (吉川英治歴史時代文庫)

 

 

 

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