池波正太郎をめざして

読書の栞

日々の読書の記録、感想を書きます。

逆説の日本史&「家康研究の最前線」

 

安倍晋三首相は、自身が長州出身であることを誇っている。

それについて否定するつもりはない。

 

逆説の日本史という、井沢元彦がライフワークとして続けているシリーズがある。資料偏重主義の日本史の学者が見落としがちな、その当時の常識を駆使することで、新しい歴史的な見方を作っていこうというシリーズだ。

今二二巻を読んでいて、内容は幕末から明治維新にかけてをやっている。

ちなみに、この時代は人気があるのだが、大河ドラマなどではそれほどの視聴率を出さない時代でもあるらしい。どうしても戦国時代が強い。ちょっとイカレてて、陰惨な空気があるからか。意味のあるのかわからない暗殺などが暗躍している時代だから。新撰組とか、冷静に考えるととんでもない殺人集団である。どこに正当性があるかどうかもよくわからなくなってくる。

 

これは世の常だが、不正というのが多く発生した。

ちょうど井上馨が不当に官営工場を払い下げしたところを読んでいて、「長州人は金に汚い」と井沢元彦が言い切っている。それを読んでいるときに籠池理事長率いる森友学園問題が発生して、本当に笑ってしまった。その印象もあって、「まあ、なんかやってるんだろう」と思ってしまった。

 

歴史研究者と歴史小説家をどこでわけるかというと作中に筆者の考えや感覚が登場するかどうかだろう。小説というのはどこまで分け入っても、最終的には私小説なのである。

 

 

「家康研究の最前線」は一方で、井沢元彦にくさされている、資料偏重主義の極地である。ところが面白い。

家康の出自や一向宗との関わりなど、最新の研究を踏まえて、多くの学者が成果を論述している。

結局近代以降でもそうなのだが、政権が大幅に変わった場合、新しい政権は自分たちを礼賛する歴史を作り上げなければならない。それによって、正当性が担保される。今安倍政権が考えている歴史の定義を新しく書き換えるという作業も、その延長線上にある。歴史とは政権から自由になれないのかもしれない。常に「忖度」、「斟酌」した側が生き残る。

明治政府がそのような書き換えを行った前は、徳川政権がその正当性を作り上げるために、歴史の書き換えを行った。それが、いわゆる神君家康思想なのである。つまり、政権運営に都合の悪い家康の事実などは隠蔽される傾向にある。その思想でいえば、家康は源氏の血を引いていることになる。もちろん、嘘だろう。

それに豊臣政権のなかにおける家康の位置も実際とは違う形で歴史として伝わっている可能性もあるらしい。家康は秀吉にとって、ライバルというよりはよき家臣として存在していた。通説である、「関東転封は疎ましいと思っていた家康を政権中枢から遠ざけるために行った」のではなく、「東北の押さえとして、信頼する家康を送った」らしい。

このように資料をもとに行った、家康像を事実に近づける作業は読み応えがあった。

 

家康研究の最前線 (歴史新書y)

家康研究の最前線 (歴史新書y)

 

 

 

 

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