池波正太郎をめざして

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読書の栞

日々の読書の記録、感想を書きます。

「限りなく透明に近いブルー」 レビュー

雑記 小説 小説-村上龍

 

  久しぶりに限りなく透明に近いブルーを読んだ。

  最近iPadを購入したのだが、その目的の一つは、「限りなく透明に近いブルー」のアプリを購入して、手書き原稿で読んでみたいというのもあった。久しぶりに読んで感じたことを幾つか書いてみたい。

 

 

あらすじ

  二〇一六年は著名人が薬物使用疑惑で逮捕されることが多かった。また、街に行けば直接に関わりがなくとも、外国人を多く目にする。この本のセンセーショナルな特徴である、麻薬とアメリカ人という部分も、今やそれほどセンセーショナルでもなくなってきた。今となったら、そこに隠れていた(村上龍自身は隠しているつもりはないだろうけれども)骨太な物語が浮かび上がってくる。それは、「大人になる瞬間」の物語である。

  リリィも含めて、すべての登場人物が大人になるということに怯えている。最後、どうしてなのかはわからないが、主人公のリュウだけが大人になる覚悟を決める。そうすると、リリィをはじめとした同じく怯え、燻っていた登場人物たちが雲散霧消してしまう。

  七〇年代はフリーセックスの時代であった。ヒッピー文化が六十年代終わりのウッドストックが終わったことで、反戦を目的に怠惰な生活を送っていた若者の、怠惰だけが形骸化し、そういう時代に突入した。村上龍たちは遅れてきたヒッピーなのである。

  

書き方の特徴 

句読点の使い方

  「あ、そう葉脈だ、レイ子中学で生物部だったのよ、それでこれの標本作ったんだ、名前は忘れたけど薬品につけるとさあ、これだけ白く残ってあとの葉っぱは溶けちゃうのよ、」

  後年、村上龍は「歌うクジラ」や幾つかの作品でも、このように面白い句読点の使い方をする。谷崎潤一郎も同じような書き方をするが、谷崎の場合は古典の手法を流用したのだろう。一方の村上の場合は、どこかわきだしたイメージを性急に書き留めようと焦った結果、句点ではなく読点になってしまったという印象を受け、面白い。

映画の台本

  この小説では舞台の描写は行われるのだが、状況の詳しい説明が行われない。それが大体いつなのか、どういう場所なのか。いるのがどんな人物なのか。そういった小説では皆が十二分にやりすぎてしまう情報が欠落していたりする。結局、描写や会話からどういう人物なのかなのかは想像がつくのであるが。

  だから、映画や舞台の台本を読むような印象を受ける。その辺りが、この小説の書き方の面白さだ。もちろん、それは村上龍が小説を書けないというわけではなく、後年「69」や「走れタカハシ」など、普通の小説も書いているのでそれはわかるだろう。

  個人的には非常に実験的なことをやったのだと思っている。

限りなく透明に近いブルー

  夜明けの一瞬、空は限りなく透明に近いブルーになる。そのブルーを写すガラスを見て、自分はこのガラスのようになりたいとリュウは思う。それはこれからどう生きるかを決心した一瞬だった。瞬間的に美しく、やさしいものを自分に透過させ、それを人々に見せたい。そう思うのである。それは大人としてどう生きるかを決めた一瞬であった。

  面白い物語は、センセーショナルな表層の下に、必ず骨太の物語を秘めている。それがないと物語としての魅力が減少するのだと思う。骨太な骨格となる物語はそれほど多くない。ただ、同時に世の中には骨太の物語を作り出せる人というのも存在する。

  村上龍という小説家の特徴は様々に表現されるのだろうが、その一つは「瞬間の美」を描こうとすることにある。それを追い求め、世界中を旅し、F-1に熱中し、サッカーやテニスに熱中する。

  加えて、「システムへの嫌悪」や「身も蓋もない恋愛」などが加わっていく。それは別の機会に。

 

限りなく透明に近いブルー (講談社文庫)

限りなく透明に近いブルー (講談社文庫)

 

 

 

 

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