池波正太郎をめざして

読書の栞

日々の読書の記録、感想を書きます。

「遠野物語」

 

 遠野物語柳田国男が、明治四十二年から始めた聞き書きを元にして作られた書物だ。語り手は遠野(岩手県遠野市)出身の佐々木鏡石である。

 覚えている内容を片っ端から佐々木氏は語り、それを柳田は書き取る。記録的な側面を重視するのか、ものがたり的な編集作業を加えられていない。だから、原文を読むのは現代人には少々骨が折れる。それを現代文訳したものが、京極夏彦版「遠野物語remix」であり、漫画化し物が「水木しげる遠野物語」だ。

 

 

 現代語に訳され、もしかすると順番も多少変えたのかなと思えるのが、京極版である。とてつもなく読みやすくなっている。それに京極が作家性を抑えており、それが原作の作風を壊さない形になっていてよみやすい。

 

水木しげるの遠野物語 (ビッグコミックススペシャル)

水木しげるの遠野物語 (ビッグコミックススペシャル)

 

 

 水木版遠野物語は、京極と違い、水木しげるの絵が入ることで、水木しげるの妖怪の世界がそこに展開しているように思える。不思議なものを形にする、という意味で、水木しげるの右に出るものはなかなかいない。

 それに遠野についての情報や、今の遠野についての情報も入っていることが、旅情を誘うのである。田舎の怖い・不思議な体験は、都会の体験と少し違う。なんというか、風土と神秘体験は密接な関係を持っているのだと思う。

 

 怪異や山に住む、山窩(サンカ? これは差別用語だろうか。一応そうかもしれないことを断っておく)のような人々の話が興味深い。完全に山と下界は区別されていて、出会うといろいろな目に遭ってしまうというような記述がある。

 若いころ、少しだけ山窩に興味を持った。ノマド(昔のジプシー。ジプシーは差別語だと思う)と同様に。どこかに定住するという感覚を、これからは定住していても持てないだろう、という感覚が、若いころに強く持っていた。だから、興味を持っていた。確かに今も、仮の住まいにいる感覚が抜けない。

 さて、そんな山の人? 怪物? は、下界の若い娘さんをさらってしまったりする。そこで若い娘さんは子をなす。何十年も経って、親戚が集まっているところにふいに帰ってくる。しかし、自分にはここに居場所がないと思って、再び山の民の所へ帰って行く。理屈よりも事実が先行し、理屈で自分の居場所が下界だとわかっていても、山に自分の生活の場があるという事実の方が先行する。そこに人生を感じてしまう。

 そんな話に興味をひかれた。

 

 京極版、水木版、どちらもとてもおもしろい。中高生は古文読解の初歩として、この二冊を読み、原文の文語体に辺り、やがて時代を遡って、平安時代のこった表現に至るというのも手だろう。興味をひくという意味では今昔物語に匹敵するくらいおもしろいと思う。

 

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