池波正太郎をめざして

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読書の栞

日々の読書の記録、感想を書きます。

「門」夏目漱石前期三部作、三巻目。

小説-夏目漱石 雑記

 

あらすじ

 宗助と御米の夫婦は借家に暮らしている。その借家は崖のそばに立っている。大家は崖の上に住んでいる金持ちである。金持ちには、夫婦の他、子どももいて賑やかに暮らしている。一方、崖のそばに暮らしている宗助と御米の間には子どもはおらず、宗助は常に迫り来る陰におびえるように暮らしている。

 宗助は公務員として働いていたが、その職には満足しているというより、仕方がないからその職に就いているという感じだ。宗助は以前はいわゆる高等遊民であった。その当時に隙になった御米を親友から略奪して結婚した。親友と御米は婚約をしていた。宗助は親友の陰におびえているのだ。そして高等遊民的地位から落ち、糊口をしのぐために役人になっている。公務員が子どものなりたい職業の上位になる現在とは事情が違う。

 再び、親友の陰が忍び寄り、宗助はその緊張から逃れるために、鎌倉の禅寺に入る。

 

感想

 きっと、群れで生活する習性を持つ人間が核家族になるというのは、特殊な事情があるのだと思う。群れにとどまれない人間関係上の理由、経済的な理由・・・・・・。今もそうだ。核家族化が進んでいくのは、実は高度成長期以来らしい。私も驚いた記憶があるが、近代が始まった明治維新以降、大正昭和と徐々にそうなっていったのだと思ったのだが、違っていて、割と最近の話らしい。

 戦後~高度成長期~バブル崩壊のあたりまでは、日本国内での人口移動が激しく起こった数十年間だったのだと思う。きっかけは高度成長期あたりまでは「金の卵」と呼ばれたように、集団で都市部へ移動して就職したのが理由だ。そのまま、そこで家族を作り、子どもを育てる。核家族化だ。これは「経済的な理由」だろう。

 その後は多くは大学就学時に、大学のある都市部に移動するというパターンだろう。これも「経済的な理由」といえる。

 特にヒップホップ的な文化と結びつき、二〇〇〇年代には「地元に居続ける(帰る)」というムーブメントが起こった。マイルドヤンキーもこの部類に入る。ネーミングが変わっただけだ。

 以前はてなブログで、「北関東文化がどーのこーの」という内容のエントリーがあった。つまりはマイルドヤンキー的な流れの中核に北関東的な文化(ファミコン世代によるファミレス文化構築)があるという内容であったが、これはとんちんかんな話であろう。「異常な人口移動の終焉」を意味しているのだ。

 宗助と御米の夫婦も核家族である。宗助の弟小六が一緒に住んでいるが、これは子どものような位置にいる。二人には父親の遺産があるのだが、これを叔父に良いように使われてしまう。これに宗助が抗しきれない理由も、御米との間柄が原因である。後ろめたいのだ。

 これが前編陰を落とす作品である。だが、宗助はそれほど年をとっていない設定だと思うのだが、老成している。「このまま、やり過ごせるさ」という達観がある気がするのだ。そのあたりが少しおもしろい作品だ。

 

それから・門 (文春文庫)

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