池波正太郎をめざして

読書の栞

日々の読書の記録、感想を書きます。

「それから」夏目漱石三部作の二冊目。

 

 この作品は「三四郎」「それから」「門」という三部作の真ん中の作品。登場人物の名前は変化しているのですが、三四郎の数年後が代助だと思えば良いでしょう。「臆病」だという他の人の評価も同じです。三四郎は母親からそう言われています。代助も同じ評価をされます。

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あらすじ

 物語は学生生活を終えて数年たった代助。実家からは独立した居を構えています。が、働いておらず、実家の父親から金を無心することで生活しています。そこへ、銀行に入行して関西で働いているはずの平岡がやってきます。本人曰く、「銀行は、部下が芸者に入れ込んで会計に穴を開けたのだが、引責で支店長に非が及びそうだから、自分が引責で辞めた」そうです。もっとも、平岡の話を信じるのならば、ですが。この日は職を斡旋してくれと、お兄さんに頼んでくれ、と代助に頼みに来ます。これから、たびたび、妻の三千代が金を借りるようになりました。こうして、二人は会うようになります。

 代助の父親は実業家で時流に乗って財をなしました。ところが、どうも最近は調子がよろしくない。だからか、代助にしきりに見合い結婚を勧めてきます。政略結婚です。ついに、「嫁を取るか、まったく実家の支援を受けない身分になるか決めろ」という事態になります。三千代への気持ちは父親も誰も知りません。だから、周囲から見ると、「なぜか結婚を同意しない風来坊のようなもの」に見えています。兄嫁や兄の子どもには人気があるのですが。

 金を借りるために三千代と会う回数が増え、三千代から夫婦仲が段々冷えているというような話を聞き、昔の気持ちに気づいた代助。ついには、三千代と一緒に暮らすことを決意します。そして、平岡に「手を引いてくれ」と頼みます。平岡は報復に代助の父親に書簡を送り、不貞行為についての詳細を知らせます。

 とうとう、父親の提案である結婚も蹴り、代助は駆け落ちを決意します。

感想

 この話のおもしろいところは、「代助の[自身への評価」と「周囲の代助への評価」がずれているということです。代助は自分が有能である、と考えていて、自分に合う職業がないと考えています。一方、周囲からは何もできない人間に見えています。臆病だからか、のらりくらりと職に就くことを勧められるのですが、それもほぼ屁理屈で蹴っていきます。

 自分への評価の甘さは平岡に「三千代から手を引け」と言うところにも現れています。代助は自分への評価の甘さからか、なぜか平岡は自分たちのことを許すと思っているのです。結婚生活はもはや感情だけの問題ではないのです。平岡の気持ちが三千代から離れていても、結婚生活を破綻させるのは下手をすれば社会的な地位を投げ打つことにつながるのです。そんな簡単な話ではありません。そういう社会的な感覚も代助には欠けています。代助という人間は、父親や兄の行っている実業という後ろ盾があって初めて価値のある人間なのです。結局はお見合い結婚をして、両家の紐帯になるくらいしかできないのです。その値踏みがなかった。それに平岡の気持ちが三千代に冷淡になってはないという描写も出てきます。それは三千代の看病をするところです。 

 父親や兄の代助への評価も同様です。家族だからこのような行為を許すというのは完全に甘えです。家族の絆が存在するには、家族として存在していて問題がない場合だけです。この感覚も不足しています。なんか、心理学に詳しい人なら、病名を付けたがるような設定ですが、この程度の人はざらに存在するでしょう。

 その代助への評価のずれは、「代助ー三千代」間にも存在します。代助は自身を「三千代を物理的にも精神的にも幸福にできる人間」だと思っています。しかし、三千代から見た代助は、まったくそうではありません。それは有名なシーンに書かれています。

 そのシーンでは訪ねてきた三千代が代助の隙を見て、鉢植えの百合の、鉢にはってあった水を飲んでしまうというシーンです。百合は種類によっては差し水を飲むと中毒になるそうです。代助の隙をみて三千代がそういう水を飲むのは、自殺を意味しているのではないかと思うのです。そういう三千代が社会的には無能力である代助を選ぶというのは幸福を欲した行動というより、心中をしたいという意思表示である気がします。もっとも、三千代がゆりの差し水を飲むという行為が場合によっては危険な行為なのだと知っていればの話ですが。

 最後に父親に見捨てられ、自分が無能力だと思い知った代助と三千代の話は、「門」へと続いていきます。

 

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