池波正太郎をめざして

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読書の栞

日々の読書の記録、感想を書きます。

「ラストワルツ」村上龍。とうとう「偏屈な老人」に行き着いた筆者。

雑記 小説-村上龍

 

 「すべての男は消耗品である」という村上龍のエッセイシリーズの続編。

 「すべての男は消耗品である」という村上龍のエッセイはデビュー頃から書かれたシリーズで、昔エロ本の・・・・・・、なんて言ったか忘れてたが、それを読んでいたらあった。私はマクドナルド創業者の藤田田がその当時好きで、彼のエッセイかコラムが目的で買ったエロ本に一緒に書いてあったと思う。書いていたら思い出すと思っていたが、やはりそのエロ本のタイトルは出てこない。「ゴージャス」か、「グラマラス」か。そんなタイトルだったと思う。いずれ紹介したいが、このシリーズの第一回目の出だしが秀逸で、一発で女性に反感を持たれそうなのだ。

 その当時の青年村上龍は、「不機嫌な青年」であった。それがちょっとだけ「達観した大人」になった時期があった。日本にいるのがいやで、外国を飛び回り、外国のF1やテニスなどを見、中田が活躍した頃にはイタリアでよくサッカーを見て、合間に原稿を書いていたように思う。

 この「ラストワルツ」は、「偏屈な老人」になったような内容だった。そして一番の大きな変化は、「家族」が登場してきたことだ。前の・・・・・・、なんだったか。以前書かれたエッセイでもそういう空気があった。これまでのエッセイには家族はあまり出てこなかった。そして、世界中を飛び回っていたのであるのに、「もう飛行機に乗るのいやだ」と言いだし、挙げ句の果てに「初詣に行くのもいやだ」というようなことを言いだし、家族にあきれられるのである。

 考え方もずいぶんと硬直性が強くなっている気がする。自分が多感な時期、六〇年代に思いをはせ、「世界は六〇年代が一番おもしろかった」とか言っちゃう始末。まあ、そうなんだけどね。それ以降、若者がマジョリティであった時代は戦後ないのである。それだけ、若者の意思が社会に反映された時期だということだ。政治的にも公民権運動が活発だった時期だ。

 「ラストワルツ」はエンゲルベルト・フンパーディンクの曲。

 

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 ただ、村上龍の食えないところは、これが全部キャラ設定されたものかもしれないということだ。昔の「すべての男は消耗品である」シリーズの「不機嫌」であったり、「達観した」村上龍も、もしかすると作られたものなのかもしれないのだ。なぜ、このようなキャラにしたかったのかはわからない。「偏屈な老人」を代表する者として書こうとしたのかもしれないし、「偏屈な老人」が存在しないからわざとそういう設定にしたのかもしれない。

 どちらにせよ、ちょっとおもしろいから読んでみなされ。

 

ラストワルツ

ラストワルツ

 

 

 

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