池波正太郎をめざして

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読書の栞

日々の読書の記録、感想を書きます。

「水木しげるの古代出雲」水木節に弱い私。

 

 

 去る一月三一日、東京で「水木しげるサン お別れの会」が開催されました。

 京極夏彦荒俣宏、そして「ゲゲゲの女房」でおなじみ、向井理松下奈緒も出席したかいでした。そのなかで水木しげるの最後のことばが紹介されたそうです。

 

 「要は虫とか植物みたいに自然に順応しながら『屁』を出しているのが一番幸せなのかもしれない。ときには屁を止めたり、溜めてみては大きな屁をひねってみるというのもおもしろいだろう。要するにすべては屁のようなものであって、どこで漂っていてもたいしたことはないようである」

 

 今回の「水木しげるの古代出雲」でもそうであるが、水木しげるの牧歌的な素養が発揮されている言葉だと思う。人生は屁のようなものであって、たいした意味が無い。読んで鼻で笑ってしまった。ふっと肩の荷が下りていく感じがする。

 

 少々、作品の紹介を。

 以前より、水木しげるの枕元に夜な夜な、古代人の装束を着た男が立つようになった。どうも、その男は水木しげるにメッセージを伝えたいらしい。水木しげるはご存じの通り、山陰の出身であり、同じ山陰の出雲にも興味を持っていたらしい。八四年「荒神谷遺跡」より、銅剣・銅矛・銅鐸が発見される。その報を見た水木しげるは「大和朝廷より前に、出雲王朝

が会ったに違いない」と興奮し、詳しいことを知りたくなる。

 調布の自宅から足繁く出雲に通うことになる。

 

 古事記は本当におもしろい。特に大和王朝が出てくる前の神話と、その後の神話では、違う民族の神話であるような錯覚まで覚える。そして前者の話、天地創世から国譲りまでを題材として、出雲の神話を描いていく。

 

 また以前書いたが、山陰地方というのは、古代には重要な位置を占めていた。大陸の交易は山陰地方を起点に行われていたし、この本でも指摘するように砂鉄が大量にとれ、それを製鉄する技術も発達した。

 どの国や民族が強いのかというのは、どこに正義があるかではなく、どちらが強い武器を持っているかで決まる。それが古代では「鉄」であった。それが大量に生成される地域が弱い訳がない。また大和王朝のような広域国家が、そんな地域を野放しにするわけがない。

 抗争に負けたオオクニヌシが持つ不満とは何か。

 冒頭に、最後の言葉を引用した。

 そのような牧歌的な空気で語られる「水木版古事記」、疲れている方どうぞ。

 読んでいないから、今度は「ゲゲゲの女房」かね。