池波正太郎をめざして

読書の栞

日々の読書の記録、感想を書きます。

「ゲゲゲの鬼太郎」に影響を受けた有名人。結構深いよ。

 

  個人的には「ゲゲゲの鬼太郎」は今回書く文庫版の一巻から五巻で一応の形が完成する。

ゲゲゲの鬼太郎」の影響

 ラジオを聞いていて、映画、アメリカ評論家の町山智浩が、「ゲゲゲの鬼太郎の影響を強く受けている」と発言していて、「へへぇ」と驚いた。鬼太郎は妖怪ものと侮るにはおしい魅力のある作品である。大人になるとそれはよくわかる。人間の負の部分もきちんと描いている作品だからだ。しかし、町山智浩が好きだとは思わなかった。

ゲゲゲの鬼太郎」のお話の型

  みなさんは「ゲゲゲの鬼太郎」のお話にどのようなイメージを持っているだろうか。鬼太郎と彼の妖怪仲間が、敵の妖怪を倒す、そういうイメージだろう。それで間違っていない。ただ、妖怪との抗争が人間のせいで発生するというニュアンスはなくなっていくのか。

   この悪くなってしまった妖怪とは戦うというイメージは、水木しげる水木しげる自身の幼少期にあるのかもしれない。戦間期に多感な時期をおくった水木しげるたちこどもも、軍隊と同じくらい、好戦的であった。「のんのんばあとおれ」にそのことは詳しく書かれている。

 

 

のんのんばあとオレ (講談社漫画文庫)

のんのんばあとオレ (講談社漫画文庫)

 

鬼太郎は差別を受けやすい境界の人

   ちょっと本格的なことを書くと、鬼太郎というのは「境界にいる存在」である。宮崎駿の作品ではよく使われるモチーフである。「風の谷のナウシカ」のナウシカ、「もののけ姫」のサンとアシタカなどがそうだ。

 鬼太郎は人間と妖怪との混血で、どちらかというと、人間の仲間につくという存在は、得てして人間からはうまく利用され、妖怪からは疎まれる。もっとも差別に会いやすい位置にいる。

 それによって、外国のドラキュラたちと大抗争にもなる。

 鬼太郎の場合は少年誌ということもあり、両方から認められた存在である。結局双方にとって、役に立つ存在だから認められるのであるが。困ったことがあると、一反木綿や子泣きじじい砂かけ婆、ねこ娘などの味方が頼る。ときに鬼太郎の方が助けられることもある。五巻くらいまでは、多々助けられる。

 現実社会でも同じで、差別を受けるものは、差別をする人間にとって、役に立たないと存在を認められない。「ゲゲゲの鬼太郎」はそんなペーソスにあふれた作品だ。

ねずみ男の活躍

 ところで、そんななか、五巻まではねずみ男の活躍がめざましい。

 ねずみ男鬼太郎と同じ、人間と妖怪のハーフだ。妖怪のエネルギーでもある妖気を吸い込む妖怪が出てきても、半分だけ吸われたりする。

 そして鬼太郎が境界の人間として、双方の役に立つという行為で立地しているのに対し、ねずみ男は双方をうまく渡り歩くという行為で身を立てている。故水木しげるがもっとも好きなキャラクターに挙げるねずみ男。金儲けや自分の利益になりそうなときには、妖怪や人間をだまそうとするくせに、鬼太郎が出てきて形勢が逆転しそうになると、ちゃっかり鬼太郎側に与する。そういう巧みさがある。そして、結局発端がねずみ男なのに、殺されもせずに存在している。

ねずみ男はなにを象徴しているのか。

 どうもねずみ男は大衆を象徴している気がしてならない。

 はてなを見ていても思うが、大衆とは逃げ方がうまい。がっちり炎上させておいて、それが誤解だとわかると謝罪も何もせずに逃走。ただ、世の中勘違いでできている。おっちょこちょいでいいのだ。やられた方はたまらないけれども。

 水木しげるは、独特な暗く、濃密な絵柄、人生観が入った物語、誰の作品でもそうだが、私小説のような側面を丹念に読み解いていくと、大人でも楽しめる作品になっている。機会があったら、一巻だけでも読んでみてほしい。

 

 

 

 

 

 

ゲゲゲの鬼太郎 1 鬼太郎の誕生 (中公文庫 コミック版 み 1-5)

ゲゲゲの鬼太郎 1 鬼太郎の誕生 (中公文庫 コミック版 み 1-5)

 

 

 

 

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「のんのんばあとオレ」には少年時代の大切なことが全部詰まっている。

のんのんばあとオレ (講談社漫画文庫)

 

あらすじ

  のんのんばあは、茂少年のうちの近所に住んでいた。

 拝み屋をしていて、信心深い。そのおかげで、妖怪などの知識も豊富だ。茂少年は貧乏なのんのんばあのうちへ行っては、妖怪の話を聞く。聞いているうちに茂少年も妖怪や怪異に詳しくなっていく。

 のんのんばあの亭主は茂が小学生に上がる直前に死んでしまう。路頭に迷うすんでで、のんのんばあは茂少年の家、村木家のお手伝いさんとなる。

 茂少年の住む田舎は、まだまだ妖怪などが信じられている場所だ。不思議なことが多く起こる。その怪異がどうしておこるのか、妖怪に精通しているのんのんばあが解説し、解決していく。

 少女たちとの恋や別れを経験しながら、茂少年は成長していく。

感想

 物語の軸は、少女たちとの恋とガキ大将率いる軍団同士の抗争、そしてしげる絵物語を作っていく、という三つである。ときは戦間期(二つの対戦の間)、不穏な空気に日本中が浸されていく寸前である。ガキ大将たちの遊び方にも、軍国化していく様が大いに反映している。戦うために訓練し、無意味に隣町の少年たちと抗争していく。この構造を、茂が最終的に変えるのであるが。

 少女たちとの関わりも悲しい最後になるのだが、それが水木しげるの異界への興味を引き立てて行く。そういった水木しげるの、「今となって考えてみれば」という形の自己分析が入っている。

しげるを取り巻く人々の魅力

  この作品の魅力は、島根県という場所の魅力と、人々の魅力に尽きる。

  父親は地元で初の東京の大学出身者である。ただ、帝大かどうかはわからない。作品中の行動から察するに、人文系の学部の出身なのだろう。厭世的な人物である。妖怪に夢中になり、絵物語を描き続けるしげる少年の良き理解者。

  母親は元名字帯刀の武家の出。それを誇るのを口癖にしている。が、それほど嫌味ではなく、牧歌的な性格である。口癖の割に流されやすい性格でもある。父親が映画館をやるという夢を語り、それに始め反対をするのだが、結局はもぎりまでやってしまうほどのめり込む。

  少年たち。しげるのライバル・カッパを始め、少年たちは大衆的性格を持っていて、とても愛嬌がある。

  水木しげるは自分の描いたキャラの中で一番好きなのはねずみおとこ、というくらい、大衆を描くのがうまい。それは、もともと実家の武良家(作中では村木家)が豪商であり、ちょっと大衆より高所より状況を見る感性を持っていたからだろう。大衆の中にいて、大衆を描くのは困難である。なぜなら、大衆は自分が大衆に属しているとは思っていないからである。ちょっと距離がないとスケッチはできない。

  「わかっちゃいるけれども」という人々の魅力が詰まっているのが本作だ。

才能を磨くには

   また、状況がしげるの才能を追い込んで行くというのも面白い。ガキ大将の頭を決めるのに、しげるはゆえあって、「相手なし」つまり村八分の扱いになる。だが、しげるには絵物語を描くという楽しみがある。だから、めげないのである。逆に創作に時間が避けるようになる。

  才能を曇らせるのは自己の性格である。友達がいないという状況を、「悲劇」ととるのか、「時間ができて良い」ととるのか、それは性格で決まる。ネットを見ていると、人的ネットワークを広げる重要性がよく説かれるが、その延長にあるのは「パリピ」程度の人間関係だ。だいたい、自己の能力を研鑽するときには、他人の協力など不必要だし、いるだけじゃまなのである。ただ、たいていの人間は「わかっちゃいるけれども」なのだけれども。

  牧歌的な作風のなかに、人生の機微がきちんと入っているのがこの作品の魅力である。

 

のんのんばあとオレ (ちくま文庫)

のんのんばあとオレ (ちくま文庫)

 

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真田太平記(1) 天魔の夏

 

 大河ドラマ真田丸」が好評である。

 おそらく、このドラマを描くに当たって、この物語を意識しないでは書けなかったと思う。

あらすじ

 話は武田家滅亡の時期から始まる。長篠の戦いで負けた武田軍は織田・徳川の猛攻に遭う。高遠城も信長嫡子の織田忠信軍に囲まれて、落城の危機にあった。向井佐平次も籠城軍のなかにいた。立木四朗左衛門旗下の部隊にいる。

 包囲軍から城を守るために、立木四朗左衛門部隊は、あえて城門から突出して敵軍に突っ込んだ。無謀な戦いで負傷を負った佐平次は、謎の女お江(おこう)に助けられる。お江は真田昌幸の草の者であった。お江は重傷を負った佐平次を助け、真田の庄まで連れ帰る。

 一方の真田は織田信長がどう裁量するかが分からない。当主昌幸は武田家からも集めた草の者を駆使して、他国の情報を収集する。草の者のなかには、特に信頼を置く壺谷又五郎がいた。又五郎も武田の忍びのものであったが、願い出て勝頼から招いた。勝頼は草の存在を重視していなかった。

 昌幸には二人の息子がいた。源三郎信幸と源二郞信繁。信繁はのちの真田幸村と呼ばれる武将である。昌幸はどうしても源二郎を贔屓にしてしまう。そこには秘密があるのだが、それは後に分かる。

 先の高遠城から脱出した佐平次は傷が癒えた後、源二郎の部下となる。

 さて、信長はあと中国・四国・九州を攻めれば天下統一は達成される段階にあった。そして、本能寺の変に遭う。乱の首謀者は明智光秀。光秀は天魔に魅入られた。

 

大河ドラマとの違い

 多くの違いがあるが、一番の違いは登場人物の性格だろう。

 昌幸はもう少し癖のある性格である。そして、源二郎はもう少しあどけない。無茶をする性格でもある。源三郎はちょっと冷たい感じがするが、当主としての性質をすでに発揮している。真田丸の初期のように、誰も彼の話が聞こえないということはない。

 出浦昌相は今のところ登場していない。壺谷又五郎というのがその代りである。

 忍びの者の存在が大きい。お江などそれぞれの忍にも物語がきちんと用意してある。全部で一〇数巻あるだけのことはある。

よみどころ

 池波正太郎の作品で、これは本気で書いたという感じが一巻の出だしからビンビンする。力が入っている感じが良く伝わる。だが、一〇数巻読ませるだけのなめらかさは当然ある。読んでいて疲れないのである。

 実際に書き出す前には、三年はかかる、と考えていたが、書き出すと八年近くかかって書き上げた長編だ。全てをつぎ込んでいる。話を先に進めるためには、真田丸のように真田家に直接関わる部分だけを書いて、そのほかの忍びの部分は軽く書けば良い。そこを思い切り書いている。書きたいことをふんだんに盛り込んでいる。逆に言えば、そうすることでそれぞれの人物に対して思い入れが出てくる。

 実にうまいが、信長が武田家を滅亡してから十数日間の出来事を描くだけで、ほぼ一巻を費やしているのはすごい。

 鬼平犯科帳のように軽い感じで書いている文章とは違う、本気の池波正太郎を味わってほしい。

 

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あと三時間あるよ。参院選特集、どうやって候補を選ぶのか。

 

先に目次を書こう。

目次

「言ってはいけない残酷すぎる真実」

Ⅰ努力は遺伝に勝てないのか

 ①遺伝にまつわる語られざるタブー

 ②「頭が良くなる」とはどういうことか

 ③知識社会で勝ち抜く人、最貧困層に落ちる人

 ④進化がもたらす残酷亜レイプは防げるか

 ⑤反社会的な人間はどのように生まれるか

Ⅱあまりに残酷な「美貌格差」

 ⑥「見た目で人生は決まる」

 ⑦あまりに残酷な「美貌格差」

 ⑧男女平等が妨げる「女性の幸福」について

 ⑨結婚相手選びとセックスにおける残酷な現実

 ⑩なぜ女性はエクスタシーで叫ぶのか

Ⅲ子育てや教育は子どもの成長に関係ない

 ⑪わたしはどのようにして「わたし」になるのか

 ⑫親子の語られざる真実

 ⑬「遺伝子と環境」が引き起こす残酷な真実

 この本は新書で、ご存じの通り新書はサブタイトルが細かく書いてある。ちょうどブロガーの書く文章と同じようになっているのだが、これを細かく書いてしまうと、内容がバレバレになってしまうので書くのは止めておく。こんかいは赤字の部分の内容を使う。それにしても、この本読んでいると、どこかで不快になる内容になっている。それにも関わらず、売れている本でもある。人間、どこかで不安になりたい動物なのだろう。

参議院選について

 ツイッターのニュースなどで見ていると、参院選は盛り上がっていないと思ってしまう。耳目を引くのは、どちらかというと都知事選である。

 なぜこうなるかというと、たぶん番組の作り手のほとんどが在京の人々であるからだ。江戸川を越えて都民ではない私にとっては、はっきりいって、石田純一が出馬したいと言い出したり、嵐のオヤジがどうなろうが、知ったことではない。関係がない。こういう番組作りをしていいのは、東京MXだけだと思うのだが。他府県の人々はどう見ているのだろうか。舛添のあとだから、国民全体が注目している、というのは確実に錯覚だ。

 あと一つは、与党の圧迫があるのか、参院選についての独自の見解を発信しにくい環境にあることも原因だろうか。あまり取り上げていないわりに、今日(投開票日)の八時以降には特番がある。変な国である。

 それに、国民の側も白けているということもあるだろう。例えば、「アベノミクスももう終わりだ。だって、イギリスのせいもあって円高に振れているじゃないか。もう他の政党に期待しよう」と言ったって、野党のどこに入れたらいいのかわからない。「支持政党なし」という奇襲策も出た。これは北欧でちょっと前に始まった試みで、あちらでもなかなか人気があるようだ。ただ、イギリスのEU脱退の国民投票の経緯を考えると、どうも半国民投票の政党に入れるのも考え物だろう。

なら、どうする?

 参議院選挙の投票は二種類ある。「候補者を選ぶ」「比例代表制」の二つだ。比例は政党に投票する方式だ。「自由民主党」とか「民進党」に投票する。もちろん、「安倍」とか「岡田」とかどの党かと分かる名前を書いても良い。

 前置きが長くなったが、本書の赤字のパートに書かれていることを参照すると、もしかすると「候補者」は選択できるかもしれない。

 写真から性格というのは想像できるのだそうだ。もっと言ってしまえば、知性もほぼ正確に当てられる。

 「気をつけの無表情な写真」、「好きなポーズでとった自然体の写真」の二つを見せると、特に「自然体の写真」からは多くの手がかりが得られるそうだ。「外向的」かどうか、「親しみやすさ」、「自尊心」だそうだ。その手がかりは圧倒的に笑顔だったそうだ。

 選挙用のポスターは笑顔で撮られている。それを見て、「コイツの笑顔嫌い」と思ったら、そいつには投票しないというの一つの手だろう。結構正確に見分けられる。ただ、人の笑顔から「政治的見解」と「誠実さ」、「穏やかさ」は判別できなかったそうだ。これらの要素を「大切じゃないか」と思うかもしれないが、結局やらせてみないと、どういう政治家かはわからない。ご存じの通り、公約なんて嘘だらけだ。

 ちょっと前に、「笑顔」「笑顔」と言うのが流行ったが、悪人とは笑顔で寄ってくるものである。

 知的かどうかも実験を行ったが、直感的に当てることができたらしい。大学の講義の短い映像を、しかも音声なしで見せただけで、その教授の善し悪しを見抜いたそうだ。外見というのは雄弁にものを語るものだ。

比例代表はどうするか

 党首で同じことをやるべきなのかどうか。各政党ともに、党首はさすがに有名人だ。安倍晋三岡田克也山本太郎、などなど、有名人の場合、ノイズが事前にすり込まれていて、ノイズごと判断してしまうので、この方法が有効かは分からない。

 短時間で比例の投票先を選ぶのは困難かもしれない。そういうときは仕方がないのであなたが思う、「無難な政党」に入れるのがいいだろう。

選挙は行った方がいい

 選挙でベストな候補を選ぶのは相当難しい。というより不可能だ。選挙権を20歳で得てから、なるべく選挙には行くようにした。なるべくその前にはニュースもチェックした。候補者がどういう人間かというよりも、人は政党に投票するのである。我々が選んだ一人の候補で政治は動かない。だから、候補者に関してはいつもベターな選択になる

 選挙は行った方がいいと思う。なぜなら、一度選挙に行かなくなると、ずっと行かなくなるからだ。もう習慣と言っていい。習慣として、選挙が近づけば、いろいろチェックするようになる。行かないという習慣が身についてしまえば、相当気が向かなければ行かなくなると思う。あくまで、私の性格では、だが。

 もしかするとあなたは逆だと思うかもしれない。「ベストな選択ができなければ、行くべきではない」と。しかし、あなただけでなく、みなが「ベスト」と考える、候補者、政党が現れるというのは、実に危険な状態だ。一番理想なのは、まあまあの政党、政権にゆだねて、社会・国家が自然と回っている状態なのだと思う。それにはベターな候補で良いのだ。

 もうすぐ夕方の五時だ。買い物のついでに、候補者の写真を見て、直感的に選ぶという選択方法も案外ありだと思うよ。自分を信じて! 

 

 

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オールドテロリスト

 

オールド・テロリスト (文春文庫)

 

 

 村上龍の長編小説である。

 二〇一一年五月という、東日本大震災のほぼ直後といっていい時期から文藝春秋で連載された小説である。

1,あらすじ

 セキグチというフリーライターのもとに、フリーになる前に勤めていた出版社の上司から連絡が入る。どうやらNHKでテロが起きるらしい。久しぶりにスーツに身を固めたセキグチはNHKに向かう。NHKでは可燃性の液体を使ったテロが行われる。

 事件を追うことになったセキグチはカツラギというミステリアスな女性と出会う。カツラギは精神的に不安定な女性だった。カツラギとマツノという出版社の若手と一緒に謎の組織「キニシスギオ」の存在を知り、追う。

 どうやら「キニシスギオ」の後ろには、第二次世界大戦中に建国された満州国の影があった。

 

2,感想

①悲惨な中年

 登場人物の状況がいちいち現代日本の状況を反映していて、村上龍らしいと思った。セキグチは初老であり、フリーのライターになってから仕事がなく不遇にな状況にあった。元妻と娘は外資系の企業で働いていて、今はアメリカで再婚相手がいるかもしれない。女性はもうガマンしない。セキグチが仕事がなくなったのがいやになったのではなく、一日中テレビを見てテレビに向かってブツブツ独り言を言うようになったのがいやだった、というのが表面的な理由だ。だが、それはトリガーに過ぎないのだろう。

 テロに巻き込まれるときにも、「コインロッカー・ベイビーズ」や「愛と幻想のファシズム」の登場人物たちのように戦ったりはしない。のたうち回るだけだ。現実、そうなるだろう。

 

②家庭

 カツラギもそうだ。不和な家庭に育ち、叔父によって不遇な目に遭う。それがきっかけになり精神が不安定になる。もうCMに出てくるような「あったかハイムさん」のような状況や、現実の吉田羊がこんなにいいお母さんであるわけがない、というような家庭は存在しない。みんなどこかいびつで、一生懸命それを取り繕っている。それが「普通」なのである。ただ、繊細であったり、現状認識がきちんとできすぎてしまうと、カツラギのように精神に不調を来す。そういう存在としてカツラギはいる。そして、各場面において、鍵のような存在でもある。

③若者たち

 読み終えて一番かわいそうな存在として写るのが、マツノくんだろう。彼は一流出版社の社員である。若いので従来可能性があり、一番頼りになる存在として登場すべきだが、この作品のなかでは一番頼りない存在として描かれる。技術も経験も、人並みでそれ以上の経験を積む機会も与えられていない。今の若者(ちょっと広く、四〇前後くらいまで含まれると思う)を象徴する人物だろう。それ故途中でお払い箱になってしまう。

 

hon.bunshun.jp

 この対談で出てくる若者そのものである。

④老人たち

 この作品には老人が多く出てくる。老人たちは戦争を経験し、社会的にも成功している。その老人たちが(無責任だと思うが)日本をリセットしようと立ち上がる。

 その老人たちとその下の世代、セキグチ・マツノを比べると、実に日本人は内向的になっていると感じた。下の記事では、その内向的というのを端的に表現していて面白かった。

 

karapaia.livedoor.biz

 要するに老人たちは単純明快なのである。やりすぎたのであれば、壊してしまえ、と単純に考える。下の世代は現状が難しい状況で、複雑に考えすぎてしまって、みんながどこかで諦めている。そんな感じがするのである。もちろん、書いている私も含めてだ。

 そしてからっと明るい、というのも老人たちに共通している。上記インタビューにもあるが、「一度死んだ命」という達観、諦念がどこかにあって、現在を楽しんでいるようにも思える。

 それが老人たちの魅力になっている。

 ⑤不満

 難を言えば、ちょっと物語が尻つぼみだなと思った。ただ続編をにおわす終わり方をしているので、大陸も巻き込んでもっとすごいことになるのかなと楽しみにしている。

 

オールド・テロリスト

オールド・テロリスト

 

 

 

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北条早雲 相模侵攻篇

 

 作者は富樫倫太郎

 

 北条早雲という人物は脂っこい野心家の一面と、善政を敷く徳の高い人物の二面性がある人物だ。司馬遼太郎がそれを「教師」というキーワードに書いていて、それが実におもしろかった。

 富樫は「徳の高い人物」の面を最大限に表に出して本書を書いている。以下は本書を元に話をすすめる。早雲とは謎の多い人物であり、まだ人物が確定はしていないのである。「早雲」も「北条」も死後についた俗名であり、生前は「伊勢宗瑞」を名乗っていた。生年も確定しておらず、一四三二年説と一四五六年説に分れる。本書は従来の「遅咲きの武将」ではなく、五六年説を取る。以下は早雲で統一する。

 この巻の始まりは、北伊豆攻略直後だ。その前に今川家に借り受けた興国寺城でもそうだが、早雲は年貢の割合を「四公六民」にした。周囲の領土が「七公三民」などの公年貢率なので、早雲の領土は破格の低さである。

 しかし、この制度を維持しつつ、周囲の武将からの侵略を抑えるためには、広大な領土が必要となる。北伊豆だけを領土にしていたら、北伊豆すら守れない。このあたりは、ディスカウントショップと事情は一緒だ。破格の値段設定を維持しつつ利益を出すには、多くの店舗が必要になる。薄利多売である。

 

 本書の時期、興国寺城と北伊豆だけを領有していた時期は、綱渡りの時期である。その事情から、ついに早雲は小田原城を攻め、相模の西部を領することを決める。

 従来の早雲のやりかたは、「小田原城のなかに、猟をしていた鹿が逃げ込んでしまった。勢子を入れさせてくれ」と言って、内部から崩す戦法をとった。本書の小田原攻めは従来のものとは違う。

 

 「真田丸」が受けた理由はキャラクターの多彩さだけでなく、駆け引きの妙にあると思う。その点、あらゆるものを使って戦っていく、この時期の早雲も同じである。「真田丸がおもしろかった人は絶対に楽しめる本である。

 

 

北条早雲 - 相模侵攻篇

北条早雲 - 相模侵攻篇

 

 

 

新装版 箱根の坂(上) (講談社文庫)
 

 

 

新装版 箱根の坂(中) (講談社文庫)

新装版 箱根の坂(中) (講談社文庫)

 

 

 

新装版 箱根の坂(下) (講談社文庫)

新装版 箱根の坂(下) (講談社文庫)

 

 

 

 

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マンガ「鎌倉ものがたり」感想

 

 作者は西岸良平。「三丁目の夕日」と本作が代表作。

 

 コンビニで「鎌倉物語」というタイトルと、桜の下を歩く和装の男性と洋服でベレー帽をかぶる小柄な女性の絵を見て、衝動買いしてしまった。鎌倉が好きなのである。

 内容は和装の男性、一色先生と洋服の亜希子夫人が鎌倉を舞台に起こる奇妙な事件を解決していくというもの。しかし、しかつめらしい「推理物」というより、鎌倉という舞台の雰囲気を伝える方に力点が置かれている。

 魔界の魑魅魍魎、花の精、死に神、不思議の元は現実的にはあり得ない存在。それがなんとなく鎌倉に似合う気がするのもまた不思議だ。古都とはそういうものなのだろう。

 鎌倉の空気を味わってほしい。

 

 

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はじめまして。

まさりんです。

読書感想文用のブログを作ってみました。こちらも、元のブログ同様、ゆっくりやっていきます。おひまなときにのぞいてみてください。

 

最低限、週二回くらいは更新したいなあ。